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2006年7月 8日 (土)

井沢元彦さんの『逆説の日本史』 ~聖徳太子の最期は、どうだったのか?~

1.               聖徳太子は、偉い人?

聖徳太子という歴史上の人物がいます。昔の1万円札に載っていた人、17条の憲法を作った人、小野妹子を遣隋使として中国に送った人、何人もの人の話を同時に聞いて、中身を理解できた人、、、ようするにとっても偉い人として、日本史に残った人というのが私たちの聖徳太子に対して抱くイメージだろうと思います。

でもほんとうにりっぱな人だったのでしょうか。それではどのような原因で、この世を去ったのでしょうか。これに対して、井沢さんは、あいもかわらず意表をつくような考察をしていらっしゃいます。

2.               聖徳太子という名前はどうしてつけられたのか?

聖徳太子というのは、亡くなってからつけられた称号のようなものです。昭和時代の天皇は、崩御されてから昭和天皇といわれるようなものです。聖徳太子の生前の名前は、厩戸皇子(うまやどのみこ)です。

聖徳なんて、とっても高潔そうなネーミングなのは、厩戸皇子が生前りっぱな業績をあげたから、それを称えるためと現代の人なら考えるかもしれません。

でも井沢さんはそうではないと考えています。不幸な生涯を終えた人は、この世に対する恨みを残しているから、その後、たたりをおこしかねない。たたりをおこされたら困るので、りっぱな称号をつけ、恨みを抑えようとしたから立派な称号をつけているというのです。

徳というのは、中国でも王に求められる気質の最たるものですが、この徳という文字を称号に入れた天皇が古代には6人もいて、いずれも不幸な人生を終えているのが、その根拠のひとつです。

このことから聖徳太子は、実は不幸な生涯だったのではないかと推定しています。

3.               聖徳太子のお墓はどうなっているのか?

聖徳太子のお墓というのは、実は、法隆寺ではなく、大阪府南河内郡の太子町にある叡福寺にあります。

このお墓には、聖徳太子が一人だけ眠っているのではなく、彼お母さんと奥さん、それも第3夫人と共に眠っています。

このお墓で不思議なことがあります。まずお母さんのお墓は、石造りの立派なものですが、聖徳太子や第三夫人のお墓というのは、あまり立派なものではありません。

また、通常、第1夫人がお墓では一緒に眠ることになっているのですが、なぜか第3夫人となっています。生前に第1夫人が大嫌いで、顔も見ていないような状況でも、高貴な人のお墓に眠るのは第1夫人というのがルールだからです。

古代の貴人は亡くなってから、お墓に埋葬されるまで、お墓を造ったりするので長期間かかります。短い期間で埋葬されるのは、異常な死亡であったことが多く、聖徳太子もお墓に埋葬されるまでの期間が短かったそうです。

つまり聖徳太子は異常な死を遂げたのではないでしょうか。

4.               玉虫厨子のなぞ

聖徳太子というと、法隆寺が結びつきます。この法隆寺は聖徳太子とゆかりのあるお寺ですが、この法隆寺に玉虫厨子というものがあります。

厨子というのは、仏像や舎利(高貴な人の遺骨)を安置する物ですが、何万匹もの玉虫の羽で覆われた厨子ですので、当時は実に美しいものだったと推察します。

この厨子の左右面に『施身聞偈』『捨身飼虎』という絵が載っています。これらの絵が意味するのは、身を捨てて他の命のためにつくすことであり、これは外面的には、自殺を意味しています。

つまり、聖徳太子の最期は自殺いや第三夫人と共に死んでいるところから心中だったのではないでしょうか?

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