同和と銀行
昨日、鳩山政権が誕生しました。新しい時代の幕開けなのかもしれませんが、あんまり、そういう気分にもまれませんね。
政治家がなぜ権力を得るかというと、国を動かす基本ラインを決めることができるからです。政治家のさじ加減で、どのような政策をチョイスするかが決まります。政策が決まると、その政策にかかわるところで新たな需要が生まれ、そこにお金がいっぱい落ちる。一ミリ、政策が右にいくか、左にいくかでは、日本全体でみると、そんなに大きな影響はないですけど、かかわる人や業界には大きな影響がでる。だから、みんな必死で自分に利益が落ちるようにがんばります。政治家だけでなく、官庁も業界も。がんばったりするためにはお金がいっぱいいるし、がんばりが効をなすと、莫大なお金が入ってきます。
超過収益には、いろんな人が群がります。みんな、1円でも多く欲しいと思うと収拾がつきません。エライ人たちの鶴の一声で必ず交通整理ができるとは限らない。物事には表と裏があるように、お金の絡むどろどろの解決のためには、裏社会の人たちの力を借りることが合理的な場合もある。だから、裏社会はいつまでたってもなくなりません。
さて、表題の同和と銀行。 これは、バブル時代を含めたここ20~30年の日本で起こった有名な事件等の裏側で、同和のドンの栄光と挫折 そして、彼に食い込み利益を得ようとしたたかにまとわりつき汚れ役を演じきった銀行の担当者、彼らをとりまく人たちの人間模様を鮮やかに描いている秀作です。
なぜ、同和のドンは、莫大な権力を得たのでしょうか。本を読む限りにおいて、彼は、物凄く優秀な実力者であったとは思えないのです。彼は暴力団出身だったのですが、おそらく暴力団の世界では、トップになれるような器ではなかった。彼の凄いところは、暴力団というキャリアを背景に、暴力団とは少し違った世界、日本人にとって負い目である世界(同和)に転職したことです。弱いものの代表であるというポジションと、暴力団出身という凄みのあるキャリアと、それをベースにした人間関係ゆえに、表の世界の人たちは、彼の実態以上に彼をおそれ、それがカリスマ性を高めた。その結果、彼に莫大なお金と権力が入ってきたのです。
この作品のもう一人の主役であるのが、銀行側で彼の担当者として張り付き、汚れ役を演じることにより銀行にお金をもたらしただけではなく、銀行を災難から守った人です。彼は、ある意味、同和のドンよりも凄かったのかもしれません。ドンは最後には逮捕され失意のうちに人生を終えた。
その後の担当者の中には、逮捕されたり、自殺したりする人もいらっしゃったのですが、彼は難を逃れた。この違いは何だろう。
私には、ドンと担当者の次のせりふが印象的でした。
ドン 「ワシはそんなに悪やろうか。警察の調書を見ると、銀行の連中はみなワシに脅かされて、仕方のう取引をした、言うとるんや」
担当者 「銀行が私を利用した---.. それは私にとって最大の賛辞です。そのために身体を張ってきたのですから。」
自分の役目を理解し、良くも悪くも徹底的に演じ、その結果の報酬は受け取るけど、それ以上のものを相手に求めず、クールに割り切って生きていくことがしぶとく生き残るために必要なのでしょうか。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント